家族のこころ

統合失調症の夫、母娘の闘い、子育て論。精神世界について得た学びや知識を共有したいです。

あなたの力が家族を変える

とりあえずいったん一緒に私の実家に帰ってきたけれど

やはり夫は義理実家で具合を心配されてる状態は居心地が悪かったようで、

2日でやはり先に岐阜の気功の先生に会いに行ってくると言い、1人で行った。

 

その間に、私は母に娘を見てもらって少し自分の心と向き合う時間を作った。

とても素晴らしい本を読んだ。

 


あなたの力が家族を変える

 

精神障害者家族のカウンセラー、家族SST(ソーシャルスキルトレーニング)の研修会などをされている、高森信子さんの本。

これは先々月にメールカウンセリングを受けていた、『統合失調症の夫と暮らす妻へのカウンセリング』の藤本衣津美さんが、高森さんの本はぜひ読んでくださいとのことだったので、読んだ。

精神病の回復には医療だけでは不十分で、共に暮らす家族の接し方で回復力に大きな差が出る。しかし家族も意思疎通の困難な精神障害者との接し方が分からず、つい感情的に接してしまい、結果的に本人に心を閉ざされてしまったり、期待とは逆の方にいったりして双方が苦しくなる。

こういったことを改善するために、高森さんは家族のために研修会を行い、患者との接し方を指導されている。

そしてこの本は、精神障害、精神病の家族への接し方、というだけではなく、健常な夫婦、親子、友人など人間同士のコミュニケーション全般に共通して非常に役に立つことがとても分かりやすく、具体的に書いてある。

学校などでは教えてくれてない、人間としてのコミュニケーションのバイブルにしてもいいのではないだろうか。

みんながこのやり方を知り、習得していれば、無駄な諍いがなくなり傷つくことが減り、もしかしたら親子断絶や離婚などもある程度防げるのではないかと思う。

もちろん、統合失調症などの精神障害も、回復するだろう。

全ページ心に留めておきたいことばかりだが、中でも私の心に響き、はっとさせられたことについてみなさんに共有したいと思う。

社会や家族の一員として役割をこなせるのは、背中に背負っている荷物がほどほどだから。精神障害者は生きているだけですでに動けないほど大きな荷物を背負っているんです。だから生きているだけでいい、のレベルではなくて生きているだけで立派なんです。

かたつむりのイラストで精神障害者が背負っている”生きづらさ”という荷物と、健常者が背負っている”家事・育児・仕事”などの荷物の大きさの違いが描いてあり、直感的に分かりやすかった。

夫は、統失かどうかは別にしても”生きづらさ”を抱えているのは本人も自覚していることであり、その”生きづらさ”という荷物は手足の不自由な人のようには他の人の目には見えないから、そのしんどさというのは分からなくて、ついもっと背負えるでしょう、と思ってしまう。

私も夫が生きづらさを訴えてきても理解できずに、”まだ若いんだから””パパになったんだから””普通旦那っていうのはね””男なら””みんなやってるよ”と、家事の分担や、仕事、育児などの荷物を彼の背負っている”生きづらさ”の大きな荷物の上にどんどん積み上げようとしてきた。

そうして彼が息も絶え絶えになっていることを、甘えだの世の中が分かってないだの言って責めて来た。

”生きづらさ”が荷物になっているなんて、思いもしなかったから。

仕事も家事も育児もしないなら、手ぶらで楽しているように、みえるから。

でも、この本のかたつむりのイラストを見ると、こんなに大きな荷物を背負って生きているのに、さらに積み上げようとするなんて、私鬼だ、と思った。

 

この世界を、普通の日常を、人生を、心から楽しめないでいる夫を、つまんない奴、身の程知らず、贅沢、身勝手、などと批判していたけれど、やりたいこともできないのに、楽しいこともないのに、それでも生きているなんてそれだけで立派なんですって、高森さんはおっしゃる。

ああ、そういう風に思うのか。

なるほど、この本は子供が統合失調症になった親御さんに向けて書かれたもので、もしも子供がそうなってしまったら、そんな風に思って見守ってあげる、というのが正解というか、それしかないのかもしれない。

しかし私の場合は、大人になってから人生のパートナーとして選び選ばれた夫が、そんな調子で、私と一緒にいて人生を楽しんでくれない人と、わざわざ婚姻生活を続けることに、喜びを見出すのは難しい。

配偶者の場合は、他の選択肢もあるからね。

これは単純に好き嫌いの問題で、私は人生を楽しむ人が好き、おいしいものを一緒に食べに行っておいしいね、って言い合える人が好き、運動が日課でがっしりした体型の男性が好き、人が好きで庭で友達夫婦やご近所とバーベキューを楽しんだりできる人が好き。

もしこれからお見合いをするならば、結婚相談所に申し込むなら、私はこんなことを条件にあげるだろう。

今の私なら。

でも20代の私、30歳の私は、そこまではっきり分かっていなくて、また別の理想を思ってたような気もする。

結婚したことがなかった若い日の私は、男性に色気とか知性とかある程度の身長とかを求めたりはあっても、人格の明るい暗いや、気分の浮き沈みの激しさ、生い立ちとかいうものが、結婚生活にどれほどの影響を与えるのかを、想像もできなかった。

不機嫌な人と一緒にいれば自分も不機嫌になる。

暗い人と一緒にいれば自分も暗い方へ引っ張られる。

それがどんなに日常に影を落とすのか、分かっていなかった。

高森さんも、病気の人は病気を治すのが義務だとおっしゃっている。

義務ですよ。義務。

だから本人が治療を拒んだり、よくなることをあきらめた場合、周りもその人を助ける義務なんてなくなるのだ。

それが本人の意思だから。

たとえ死んでしまう方に向かってしまったとしても、それが本人の望みだから。

どこにでも遍在できて、疲れなんて知らない天使でさえも、

助けを求められない限り、助けることができないようになっている。

いわんや人間をや。

 

そんな風に、冷たいことも思ってしまうこの頃だけれど、この本の中で私が今すぐ実践しようと思ったことは、会話の仕方。

会話というのは、受信(聞く)→処理→送信(話す)という順になっており、話がかみ合わない、通じないと思う時はだいたい受信の仕方に問題があるとのこと。

人は往々にして自分だけの”フィルター”、つまり思い込み、価値観、偏見、期待、被害者意識などを通して受信しており、相手の言葉をそのままに受け取らない。

ある例では、娘さんが「暗くなったね」と言ったのを母親が「電気ぐらい自分でつけてよ!」と答えて、まさに今電気をつけようとスイッチに手を伸ばしていた娘さんは傷ついた。

この場合、母親の方に「この子は何でも私にやらせる、依存している」というフィルターがあるために、このような先読みした返答になってしまった。

この会話の場合、正解は「暗くなったね。」「そうね、暗くなったね。」或はそう思わない時は「暗くなったって思うの?私はそう思わないけどどうしてかな?」

ただ相手の言った言葉をそのまま反復する。それから自分の意見を「私は~」で述べる。

こうすれば先読みしてお門違いな返事をして相手を傷つけることもなく、穏やかな会話が成立する。

娘さんが「暗くなったね。」と言った後に、「ママ電気つけて。」と言ったらそこで初めて「お母さん今ちょっと手が離せないから自分でつけてくれる?」と言えばいい。

 

私も、母も、この先読みするクセがあるなあ、と改めて認識した。

自分勝手なフィルターのせいで先読みし、無駄に相手を責める結果になっている。

 

例えば母は、私がダイエットしてて、「これいらない」と言ったら「お母さんの作ったごはんが食べられへんって言うんか!じゃあもう何も食べんでええ!」と怒ったりした。

私はダイエットしたいだけなのに、母は勝手に自分が責められていると受け取り、怒りだし、私はそれで傷ついた。

今、夫が不食になっていることで、私も母と同じようなフィルターができていることに気づく。

夫が食べないのは私の料理に不満があるからだ、いや私に自分がこの結婚生活がしんどいことを訴えるためのハンストだ!と。

夫本人が、そういうわけじゃない、リリちゃんの料理はほんとおいしいし、この結婚生活がしんどいわけじゃない。ただコーヒーの飲み過ぎかな?とか言っても、私は信じない。

私に対する当てつけだ、嫌がらせだ、と思ってしまう。

これは余計な、自分も相手も苦しくするフィルターだ。

 

このフィルターをはずし、相手の言ったままをいったん反復してから「私は~と思う。」と自分の意見を言う、ということをやったら、全然違う関係になるんだそうだ。

 

統失の人の場合は幻聴を訴えてくることがある。

「すれ違った人が僕の方を指さして、ほら、きちがいがいるよ。って言ったんだ」と訴えてきた時に「そんなこと言うわけないじゃない。それは幻聴なの!病気の症状なの!」と否定してしまったら、本人は悲しい。分かってくれないと思って、悲しくなってしまう。

だから「すれ違った人にきちがいがいるって言われたんだ。それは辛かったね。でももう大丈夫だよ。」と言ってあげれば本人はとても安心する。

そのまま繰り返す→共感する→自分の意見を言う

この順番。

私は、これをこれから試してみようと思う。

精神障害者相手だけじゃなく、誰に対してでもコミュニケーションがスムーズになる魔法の答え方かもしれない。