家族のこころ

統合失調症の夫、母娘の闘い、子育て論。精神世界について得た学びや知識を共有したいです。

自分軸で生きることが結局家族の幸せになる。

前回の記事の補足。

 

私が他人軸で生きていたことについて

複数の人に言われてから自分の半生を振り返って

掘り下げてみた。


それが始まったのは多分、妹が生まれて以降。

 

妹は1歳半しか違わないからたぶん、2歳の頃にはもう

始まっていたんだと思う。



妹が好きなお菓子は自分のを半分あげた。



母に強く望まれたから、家から通える大学にした。
結局摂食障害になって母と喧嘩が絶えず、1年で家を出た。


本当は海外で働いて、外国人と結婚してずっと外国に住みたかったけど、
海外就職はしたもののそこで出会った日本人と結婚した。

言葉が通じない婿だったら親が残念がるだろうなあ、と思ったのも事実。

いつも彼氏ができたら、この人は両親に認められるだろうか?と
考えていた。


母の強い思いに引っ張られて、里帰り出産した。

夫の強い思いに引っ張られて、産後3ヶ月でまた外国に移住した。

私は全く興味のない国だったけど。

夫が大丈夫っていうから。

結果、全然大丈夫じゃなかった。

家族の誰かの望みを叶えようとすると、別の誰かが
不満を持って、喧嘩になって、結局、みんなが傷つく結果に
なってしまった。


家族の望みを聞こうとしたって、
どうせあちらを立てればこちらが立たず、になる。

私は、私の居場所とやることくらい、自分で決める。

誰に遠慮もいらない。

誰かのために、自分を犠牲にするなんて
結局みんなを幸せにしない。

自分が生き生きと輝いて、笑って生きていること。

それが周りも輝かせることになる。

 

私が一番嫌なのは、母の自己犠牲精神だったはずなのに

いつのまにか自分もそうなっていた。

 

母は家族のためにたくさん料理を作るくせに自分は同じものを

食べないで残り物やパンなどをつまむ。

 

お父さんを置いていけない、という理由でパート先の社員旅行も

断っていたし、

 

仕事が大好きだけど仕事しているから家事が

おろそかになっていると思われたくなくて、帰宅してから

座ることもお茶を飲むこともなくバタバタ食事の準備や片付け

をして決まって夕飯後に力尽きたように居眠りする。

 

それをみた父が決まって

「母さん疲れとるんや」

と言う。

 

全部、ものすごく嫌だった。

 

そんなに必死に動いてなくたっていいのに。

眉間にしわ寄せて家族のために頑張ってますって

見せつけないで欲しい。

 

私たちも、できるから。

お母さん1人でやらなくても、私たちにもできるから。

 

お母さんもっと楽して欲しい。

笑って楽しそうにしてて欲しい。

 

小さい頃から今まで、私はずっとずっとそれを願っていた。

 

お母さんがしんどいと、笑ってないと、いつも自分が責められている

ような気がして辛かった。

 

バタバタ家事をしている母の前でのんびりお茶なんか飲んでいたら

悪い子のような気がした。

 

実際、母は動きながらチラチラ不機嫌な顔で私の方を見る。

 

最初のヒプノセラピーで7歳ごろの自分が出てきて、

 

「私が楽しそうにしているとお母さんが不機嫌になる。

だから真面目で大人しくしている。感情を出すとお母さんがそれを否定する。

だからポーカーフェイスになった。」

 

と言うことがわかった。

 

本当の私は歌ったり踊ったり、志村の真似をしたりしておどけるのが

好きな子だった。

 

だけど私が踊ったりしていると母は決まって

「何しとん?変な子」と冷たく言い放つから

私は楽しい気分を潰されて、悲しい気持ちになった。

 

そんなことが続き、

「私が楽しくしているとお母さんが笑わない。

真面目にしていると笑わないまでも否定はされない。」

 

そう思って、本来のひょうきんなところや快活なところを封印し

真面目でおとなしい子として生きる決断をしたようだ。

 

これを幼児決断と言う。

 

幼児決断は、未成年にとって死活問題の

「親の機嫌」を取るためにされる。

 

私の場合、ヒプノやRASで出てきたのが6歳ごろだったので

この頃に決断したみたいだ。

 

じゃあ一体お母さんはなんでそんな小さな子供が楽しそうに

しているのを否定したりしたんだろう?

 

なんで一緒に笑って踊ってくれなかったんだろう?

 

ヒプノでわかったのは

 

「お母さんは自分が本当に望んでいる人生を生きていなくて

楽しくなかった。世間体を守るために必死に主婦をやっていたから

余裕がなかった。」

 

このセラピーが終わってから

母と言い合いになった時、これを本人に言ってみた。

 

そしたら、図星だった。

 

やっぱり、母は本当はキャリアウーマンとして生きたかった。

田舎から高卒で大手総合商社に入ったのが誇りだった。

 

だけど、24歳にもなれば、当時は女は結婚して退職するのが

当たり前だった。

 

結婚したら子供を2人は産むのが当たり前だった。

 

キャリアウーマンで生きる女よりも、専業主婦で生きる女の方が

圧倒的に幸せだと信じられていたし、世間はそれを当然のように

望んでいた。

 

保守的で真面目な母は、世間から外れた道に進む勇気などなかった。

 

念願叶って子供を2人授かったけれど

やりたいことをやっていないイライラや不満は、
無意識に幼い子供に向けられていた。

 

私は長女だったから、母の機嫌を真っ正面から浴びる役だった。

 

当時父は1ヶ月仕事で不在などがざらだったそうだから

父不在の中、団地でご近所の目も近く、母は完璧な家庭を

作るのに必死になった。

 

こんなにも必死でいろんなことを我慢しているから

能天気に歌ったり踊ったりふざけたりしている私を

受け入れることができなかった。

 

一緒に楽しむ余裕なんてなかった。

 

・・・そういうことだった。

 

だから世間から外れたような道を歩いている私が

どうしても面白くないのだ。

 

でもね、だから今の私にできることは、

「もうお母さんの機嫌を取る必要なんかない」と

認めること。

 

母には自分を幸せにする責任がある。

私には母を幸せにする責任なんてないし、そんなことできないのだ。

 

それを分かること。

 

お母さんが笑っていないことが、幼い子供にとっては

この世の終わりくらい怖いことなのだから

今母親でもある私が、笑っていること。

 

つまり自分で自分を幸せにすること。

 

人の助けを借りたり、息抜きも上手にして

娘と一緒に笑う余裕を持っていること。

 

今は状況的には心に余裕がなくなっても仕方のない状況

だけれど、踊ったり笑ったりする無邪気な娘をみると

楽しい気持ちにしてもらえるので、本来の性分のままに

1歳児と一緒に踊ったり走ったりしている。

 

母と違って、私には自然にそれができる。

 

子供の、全ての感情を否定しない。

 

楽しい、嬉しい、痛い、寂しい、悲しい。

 

全部一緒に感じて、共感する。

 

お母さんが自分の感情をわかって寄り添ってくれる

安心感ってものすごいよ。

 

幼い時にちゃんと親から安心感を持たせてもらった子供は

大人になってから恋愛や結婚で相手の愛情を試すような

困った人間にはならない。



自分の本心の望みにきちんと耳を傾けて、
私が私を喜ばせる。
誰よりも優先して。

やりたいようにやっていい。
住みたい場所に行っていい。

結婚も離婚も再婚も、私がしたいようにすればいい。

もっと自分中心でいい。

いや、自分中心こそが、正解なんだ。

もう離婚したいと義母に言った時、
彼女は
「女は強くないとダメよ。」と言った。

義母や母の世代は、
女は自分を犠牲にして家族に尽くすもの、
子供のため、夫のために生きるもの。

という価値観が根付いているから
義母はそういう意味で言ったはず。

耐える強さ。守り抜く強さ。

「子供のために離婚は思いとどまりなさい」

それが一番子供を苦しめることを、彼女たちは
認めようとしない。

自分たちが、そうして「我慢」してきたから。

子供にとっていちばん辛いのは、母親が笑っていないことなんだと
いうことに、気づきもしないで生きた世代。

 

子供に人生背負わせるな!

重いんだよ!


今の女の選択は

行動する強さ。変化する強さ。

「私と子供のために別居する、離婚する」

 

そんな選択だってある。

多くの占い師やカウンセラーは言った。

「子供のため」すら考えなくていいんですよ。

子供には子供の宿命があって生まれてきたんですから。

大丈夫、子供はちゃんと育ちます。


あなたは、あなたのためだけに、生きていいんですよ。